SANMARINO STORY 03

STORY 03

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心の通ったビジネスで
信頼関係とネットワークを構築

メンズニットの卸としてアパレルビジネスをスタートさせたサンマリノ。創業から50年を経て、取扱商品をはじめ、仕入先や得意先も、ビジネスのあり方も大きく変わってきました。めまぐるしい変化を遂げる業界ですが、サンマリノのビジネスには、一貫して“変わらない大切なもの”があります。

“相互信頼”を築いて品質向上

サンマリノが創業から社屋を構える両国周辺の本所地区は、日本のニット産業発祥の地ともいわれています。この地でメンズニットの卸を始めたサンマリノが当初取り扱った商品は、この界隈で作られた“メイド・イン・ジャパン”。創業間もなく商品の企画開発も始めたサンマリノは、両国界隈の“ニッター”と呼ばれる編物業者と信頼関係を構築していきました。代表取締役会長の中森典雄は話します。

「若い人たちに訴求する商品を作るために商品企画を始めたのですが、ヤング向けのニットを生産している工場がほとんどない時代。そこでレディースニットを作っているニッターを回って相談し、協力し合いながら新しい商品を作りました」

しかし、時代は変化していきます。大きな転換期となったのは、1985年の“プラザ合意”。先進5カ国(G5)蔵相・中央銀行総裁会議で発表された為替レートに関する合意で、その後の世界経済だけでなく、日本のファッション業界にも大きな影響を与えました。この合意によって円高が進み、生産拠点を賃金の安い海外へ移転する企業が増えたのです。サンマリノも韓国や中国に生産拠点をシフトしますが、最初は苦労の連続でした。

「今でこそ提携している海外の工場は質の高い商品を作ってくれていますが、当初は日本の基準に満たないものも多く困りました。現地に様子を見に行くと、工場の環境もひどくどこから改善すべきか悩みました。ですが、“いいものを作りたい”という思いを共有して信頼関係を築けたことで、自ずと品質もよくなっていきました。“相互信頼”の大切さは国が代わっても、工場が代わっても同じです」

仕入先との交渉の現場にいた、専務取締役の大家康敬はこう振り返ります。商品のクオリティを上げるためにも、信頼関係は欠かせないものなのです。

インタビュー画像
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お得意様の変遷と“フェア”なビジネス

サンマリノは“GMS”と呼ばれる総合量販店を主力取引先としながら、1982年に百貨店・専門店向けとして“サベス事業部”を創設。やがて分社化してハイブリッド株式会社となります。時代の移り変わりと共に主力取引先の一つにロードサイド型と呼ばれるカジュアルウエア・チェーン店が加わり、直営店やECなど、販売チャンネルは増加していきます。そこに一貫しているのは「“フェア”なビジネスをすることです」と大家はいいます。

「私たちは基本的に『“への字”と“ねの字”はNG』という考え方でやってきました。への字は“返品”、ねの字は“値引き”のこと。どちらもお断りしています。常に適正な在庫量と透明性の高いキャッシュフローを確保するためです。お得意様のなかには返品や値引きを強く求めるところもあります。ビジネスですから交渉事はあります。ですが、それが双方にとって“フェア”な内容でなければ、たとえ大きな金額でも取引を中止させていただくこともありました。しかし、こうした考え方は私たちの“強み”にもなったのです」

服が飛ぶように売れた百貨店アパレル全盛期は、大量に卸して値引き、返品という商習慣が当たり前でしたが、その当時からサンマリノは適正な在庫とキャッシュフローを維持していました。これがアパレル業界の厳しい競争を生き残る“体力”になりました。

こうしたサンマリノの矜持は今後も強みであり続けることでしょう。

株式会社サンマリノ 代表取締役社長 中森 英典の写真

株式会社サンマリノ
専務取締役 大家 康敬

東京都出身。1985年に株式会社サンマリノに入社し営業を担当。家業であるニット工場を継ぐために退社するも、現・代表取締役会長の中森典雄に請われ2001年に再入社。2012年より現職。